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PERSON
山内一豊
山内一豊
土佐藩の礎を築いた武将
1546-1605 · 享年 59歳
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生涯
1546年、尾張の豪族・山内盛豊の次男として生まれた。父の死後、主君を転々とした後に豊臣秀吉に仕え、功績を積んで掛川城主となった。妻・千代は名馬を夫に贈るための財を蓄えていたと伝わり、「内助の功」の代名詞として後世に知られる。1600年の関ヶ原の戦いでは、徳川家康が上杉征伐に出陣する際に自らの居城・掛川城の明け渡しを申し出た。この申し出は「天下の城をお預けする」という意思表示として家康に高く評価された。戦後の論功行賞で土佐20万石に封じられ、高知城を築いて土佐藩の礎を築いた。城下町の整備・検地・産業振興など藩政にも力を注ぎ、土佐の基盤を固めた。1605年に60歳で没した。NHK大河ドラマ「功名が辻」(2006年)で広く知られるようになった。
人物像
誠実で堅実な性格。大きな野心よりも忠義と誠実さを重んじ、適切な時機に正しい判断を下す能力を持っていた。妻・千代の助言を大切にしたことでも知られる。
歴史的意義
高知城は現在も現存天守を持つ城として知られ、山内一豊・千代夫妻の像が城下に立つ。「内助の功」の故事は日本の文化に深く根付いており、夫婦の理想的な関係の象徴として語り継がれている。
逸話・エピソード
千代の内助の功——虎の黒馬購入資金を貯めた賢妻の伝説
山内一豊の妻・千代は「内助の功」の代名詞として有名。有名な逸話によれば、信長が馬揃えを催した際、一豊は名馬を購入する資金がなかった。そのとき千代は嫁入り前から貯めていた十両の黄金を差し出し、一豊はその金で黒馬を購入して馬揃えに参加。一豊の馬は信長の目に留まり、これがきっかけで一豊の出世が加速したとされる。また関ヶ原(1600年)直前には千代が「家康に居城・掛川城を差し出せ」と助言し、この決断が一豊を土佐24万石の大大名へと押し上げたと伝わる。
─ 完 ─
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