大政奉還の建白——山内容堂が坂本龍馬の構想を実現した決断
山内容堂は「酔える勤王家」と称された土佐藩主で、幕末の政局に大きな影響を与えた。1867年、坂本龍馬が後藤象二郎に提案した「大政奉還」構想を受け入れ、将軍・徳川慶喜に上表した。この建白書が幕府による大政奉還(11月9日)を実現させる直接の契機となった。大政奉還によって戊辰戦争の全面的な大規模化を一定程度回避し、徳川家の滅亡を防いだ(慶喜は諸侯会議での主役の地位を保つことを狙ったが)。容堂は「佐幕でもあり勤王でもある」という複雑な立場を貫いた人物として評価される。