1619年、京都の針医者の家に生まれた。幼くして比叡山・妙心寺に入り禅を学ぶも、土佐で朱子学者・谷時中に師事し儒学に転じた。1655年、京都に戻り私塾を開設。厳格な朱子学者として知られ、門弟は6000人に及んだとされる。代表的な弟子に浅見絅斎(けいさい)、佐藤直方、三宅尚斎がおり、彼らは「崎門三傑」と称され「崎門学派(闇斎学派)」を形成。純粋な朱子学教条主義を貫いた。晩年の1665年、吉川惟足より神道の奥義を授けられ、朱子学と神道を融合した「垂加神道」を創始。天照大神を儒教の「理」と同一視する独自の神学体系を展開し、尊皇思想の源流の一つとなった。『文会筆録』『垂加翁神説』などを著す。1682年、64歳で没。