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PERSON
安田善次郎
安田善次郎
安田財閥創始者・東大安田講堂寄進者
1838-1921 · 享年 83歳
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生涯
1838年、越中国富山の下級武士・安田善悦の長男として生まれた。17歳で江戸に出奉公、両替商・鰹節商を経て1864年に両替商「安田屋」を独立開業。戊辰戦争前後、太政官札(不換紙幣)の相場差益で巨万の富を築く。1876年、第三国立銀行を設立、1880年には安田銀行(現・みずほ銀行の母体)を設立し金融業を主軸に安田財閥を形成。損害保険・生命保険・鉄道・電力・鉱業にも進出し、三井・三菱・住友と並ぶ四大財閥の一角を占めた。質素倹約を旨とし「一文を大切にすれば一両となる」を信条とした。1920年、東京帝国大学に100万円(現在の約50億円)を寄付し安田講堂を建てさせた。1921年9月28日、大磯の別邸「寿楽庵」で国粋主義者・朝日平吾に短刀で刺殺された。84歳。
人物像
「吝嗇家(りんしょくか)」と揶揄されるほどの徹底した倹約家。自らは粗衣粗食に甘んじながら、公共事業や寄付には惜しみなく私財を投じた。商売では堅実な取引を好み、投機を避けた。数字と記憶力に驚異的で、取引先の帳簿を諳んじていたという。生涯を通じて新聞広告を出さず、看板も質素であったが、その堅実さが安田銀行への絶対的信用を生んだ。
歴史的意義
安田銀行は1948年に富士銀行となり、2002年のみずほフィナンシャルグループ誕生の中核を担った。損害保険分野の損保ジャパン、生命保険の明治安田生命も安田系の流れを汲む。東大本郷キャンパスの安田講堂は日本の大学の象徴的建築となり、1968-69年の東大紛争の舞台としても歴史に刻まれた。倹約・堅実経営の哲学は、現代の日本的金融経営の原型ともされる。
逸話・エピソード
1920年——東大安田講堂への巨額寄付
1920年、安田は「学問の殿堂にふさわしい大講堂が必要」という東京帝国大学の声に応え、100万円(現在の約50億円)を無記名で寄付した。「名を残すな、功績だけ残せ」との信条から寄付者名を出すことを固く拒否したが、没後に名前が公表され、講堂は「安田講堂」と命名された。設計は内田祥三、1925年完成。「実業家の社会還元」の模範として後の財界寄付文化に大きな影響を与えた。
1921年——暗殺事件と朝日平吾
1921年9月28日、大磯の別邸「寿楽庵」を訪れた右翼活動家・朝日平吾は、労働者向け宿泊施設建設のための寄付を要請。安田が慎重な態度を示すと、朝日は懐から短刀を抜いて安田を刺殺、その場で自害した。朝日は「安田は労働者を搾取する資本家の典型」と糾弾する遺書を残し、この事件は大正期の「富豪テロ」の嚆矢となった。4ヶ月後の原敬首相暗殺、翌年の血盟団事件へと連なる右翼テロ時代の幕開けであった。
─ 完 ─
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