北条義時の長男として1183年に生まれた。幼少期から父に従って武芸と政務を学び、承久の乱(1221年)では幕府軍の総大将として大軍を率いて上洛し、後鳥羽上皇の朝廷軍を撃破した。1224年に父・義時が急死すると三代執権に就任。私腹を肥やすことなく、侍所・政所・問注所の三機関を整備して幕府行政を近代化した。最大の功績は1232年(貞永元年)の御成敗式目(貞永式目)の制定である。全51条からなるこの武家法典は、土地・所領に関する慣習法を成文化し御家人の裁判基準を明確にしたもので、後の室町・江戸時代の法制度にも影響を与えた。評定衆(合議機関)を設置して独断を避け、名執権として徳政を行った。晩年も質素な生活を守り続け、1242年に60歳で没した。その温厚で公正な姿勢は「泰時の善政」として後世まで理想の政治家像として語り継がれている。