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PERSON
北条泰時
北条泰時
三代執権・御成敗式目
1183-1242 · 享年 59歳
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生涯
北条義時の長男として1183年に生まれた。幼少期から父に従って武芸と政務を学び、承久の乱(1221年)では幕府軍の総大将として大軍を率いて上洛し、後鳥羽上皇の朝廷軍を撃破した。1224年に父・義時が急死すると三代執権に就任。私腹を肥やすことなく、侍所・政所・問注所の三機関を整備して幕府行政を近代化した。最大の功績は1232年(貞永元年)の御成敗式目(貞永式目)の制定である。全51条からなるこの武家法典は、土地・所領に関する慣習法を成文化し御家人の裁判基準を明確にしたもので、後の室町・江戸時代の法制度にも影響を与えた。評定衆(合議機関)を設置して独断を避け、名執権として徳政を行った。晩年も質素な生活を守り続け、1242年に60歳で没した。その温厚で公正な姿勢は「泰時の善政」として後世まで理想の政治家像として語り継がれている。
人物像
質素で誠実、公正さを重んじる人格者。私腹を肥やすことなく御家人の利益を守ることに尽くした。合議を重視した開明的な指導者。
歴史的意義
御成敗式目は日本初の武家法典として、室町時代・戦国時代にも影響を与え続けた。引付衆の先駆となる制度整備も行い、鎌倉幕府の黄金期を築いた。
逸話・エピソード
御成敗式目の制定
1232年、日本初の武家法典「御成敗式目」を制定。道理と慣習に基づく51か条は、以後の武家社会の法的基盤となった。
関連する歴史的事件
1221
六波羅探題設置
承久3年(1221年)、承久の乱での幕府勝利後、京都の六波羅(従来の平氏・京方御家人の拠点)に設置された鎌倉幕府の出先機関。北条泰時・時房が初代として赴任し、以後北条一門が南北両探題を世襲した。朝廷の監視、皇位継承への介入、西国御家人の統括、京都市中の治安維持・訴訟裁断を担い、幕府の西国支配の要となる。1333年鎌倉幕府滅亡と同時に足利高氏(尊氏)に攻められ滅亡した。
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ゆかりの地 — 1
鶴岡八幡宮
神奈川県
三代執権・泰時は御成敗式目(貞永式目)を制定し、鶴岡八幡宮を武家法の精神的支柱として位置づけた。公正な裁判の実現に努めた名執権。
─ 完 ─
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