1569年頃、浅井長政とお市の方(織田信長の妹)の長女として近江国に生まれた。幼名は茶々。1573年に父・長政が信長に小谷城で滅ぼされ、5歳で悲劇を体験した。1582年の本能寺の変後、母・お市は再婚相手の柴田勝家のもとへ行き、茶々も同行した。1583年の賤ヶ岳の戦いで勝家が秀吉に敗れると、母・お市は勝家とともに自害し、茶々は妹たちと共に秀吉に引き取られた。やがて秀吉の側室となり、1589年に鶴松(夭折)、1593年に秀頼を産んだ。秀頼誕生後は「淀殿」として豊臣家の最有力者となった。1598年に秀吉が死去すると、6歳の秀頼を支える後見として大坂城に君臨し、大名たちへの影響力を行使した。徳川家康との緊張が高まる中、豊臣家存続を最優先に考えた結果として対立が深まり、1614年・1615年の大坂の陣を経て1615年に秀頼と共に大坂城で自害した。享年47歳。