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PERSON
源頼家
源頼家
鎌倉幕府第二代将軍
1182-1204 · 享年 22歳
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生涯
鎌倉幕府第2代将軍(在職1202-1203年)。源頼朝の嫡男として鎌倉で生まれ、幼少から武芸を磨いた。父の死後、18歳で家督を継いだが、北条時政・北条政子ら外祖父母による政治介入を受け、御家人合議制のもとで将軍権力は著しく制限された。蹴鞠を好む文化的一面を持つ一方、剛直で短気な気性から北条氏との対立を深めた。1203年の比企能員の変では外戚・比企氏が北条氏に滅ぼされ、頼家は伊豆修禅寺に幽閉された。翌1204年、22歳で北条氏の刺客に暗殺されたとされる。弟・実朝が第3代将軍となった。修禅寺(静岡県伊豆市)には頼家の墓があり、池のほとりの悲劇の若き将軍を偲ぶ地として知られる。
人物像
若く血気盛んで独立心が強かったが、権謀術数に長けた北条氏の前に政治力を発揮できなかった。蹴鞠や武芸を愛した文武の素質を持ちながら、周囲の支持を固める外交センスに欠けた悲劇の人物。
歴史的意義
頼家の失脚は将軍権力の実質的な空洞化の起点となり、以後の鎌倉幕府は北条氏(執権)が実権を握る体制へと移行した。修禅寺は頼家ゆかりの地として多くの文学・演劇作品に描かれ、岡本綺堂の戯曲「修禅寺物語」は特に有名。
逸話・エピソード
源頼家の悲劇——北条氏に翻弄された2代将軍の短命な治世
源頼家は源頼朝の嫡男として1202年に2代鎌倉将軍となったが、北条時政ら御家人の合議制によって将軍権力を制限された。1203年、頼家が病で倒れた際に北条氏が後継者問題を画策し、頼家は将軍職を廃されて伊豆・修善寺に幽閉された。翌1204年、わずか23歳で暗殺されたと伝わる。後に観阿弥・世阿弥ら能の大成者を庇護したとも言われる。頼家の悲劇は、源氏将軍家が武家政権確立のための「道具」として北条氏に利用・排除されていく過程を象徴する。
源頼家 年表
1182
源頼家、鎌倉に生まれる(頼朝と政子の長男)
1199
父・頼朝の死後、18歳で二代将軍に就任
1203
比企能員の変。将軍職を廃され伊豆修禅寺に幽閉
1204
修禅寺にて暗殺される(23歳)
ゆかりの地 — 1
鶴岡八幡宮
神奈川県
二代将軍・頼家は若くして将軍職を継いだが、独裁的な振る舞いが御家人の反発を招き、母・政子と祖父・時政によって将軍職を剥奪された。鶴岡八幡宮は頼家にとっても幼少期から親しんだ場所であった。
─ 完 ─
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