1159年、平清盛が熊野参詣で不在の隙をついて源義朝・藤原信頼が起こしたクーデター。信頼・義朝は三条殿を焼いて後白河上皇・二条天皇を幽閉したが、帰京した平清盛の軍勢に反撃され敗れた。源義朝は東国へ逃れる途中、尾張で家人に裏切られて殺された。義朝の子・頼朝は伊豆に流刑となり、後に鎌倉幕府を開くこととなる。義経の兄・今若(義円)・乙若は幼少ながら捕らえられ殺害された。この乱で平氏の覇権が確立し、平清盛の独裁政権が成立する直接の契機となった。
平治の乱で父・源義朝が敗れ、頼朝は捕らえられて伊豆国蛭ヶ小島へ流罪となった。この流人の身が20年後に打倒平氏の兵を挙げることとなる。