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PERSON
与謝野晶子
与謝野晶子
情熱の歌人
1878-1942 · 享年 64歳
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生涯
1878年、大阪府堺市の老舗和菓子商「駿河屋」の三女として生まれた。本名は鳳志やう。幼少期から店番の傍ら古典文学を乱読し、和歌の才能を開花させた。1900年、大阪に来た歌人・与謝野鉄幹と知り合い、翌1901年に家を出て上京。鉄幹の主宰する新詩社に参加し、処女歌集『みだれ髪』(1901年)を刊行。女性の官能・自我・性愛をおおらかに詠う大胆な作風は伝統歌壇から激しい反発を受けたが、浪漫派歌人のスタイルを確立し、明治ロマン主義の金字塔となった。同年、鉄幹と結婚。1904年9月、日露戦争で旅順攻囲戦に従軍する弟を案じて長詩『君死にたまふことなかれ』を雑誌『明星』に発表、反戦詩として大きな反響と論争を巻き起こした。鉄幹との間に12人の子をもうけ、家計を支えるため旺盛に執筆。1911年、平塚らいてうの女性文芸誌『青鞜』創刊号に詩を寄せ、1912年にはパリへ渡り鉄幹と合流。『源氏物語』の現代語訳(与謝野訳源氏)を3度にわたって完訳し、文化学院の創立にも参加。晩年まで女性解放・教育問題・平和主義に積極的に発言し続けた。1942年、東京荻窪の自宅で64歳で没。
人物像
情熱的で奔放、そして強靭な意志の持ち主。封建的な道徳観を恐れず自我と官能を高らかに歌い上げた。12人の子を育てながら生涯執筆を休まなかった驚異的な生命力と、女性解放・反戦・教育への実践的関与を併せ持つ行動する知識人。
歴史的意義
『みだれ髪』は近代短歌における女性の表現を解き放った金字塔として今も読み継がれる。『君死にたまふことなかれ』は日本近代詩の代表的反戦詩。堺市には与謝野晶子記念館(さかい利晶の杜)が建つ。
逸話・エピソード
1901年——『みだれ髪』の衝撃
1901年8月、22歳の晶子は処女歌集『みだれ髪』を東京・新詩社から刊行。「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」など、女性の官能と自我を恐れず歌い上げた399首は、伝統歌壇から「淫猥」と激しく非難された。しかし若い読者層を熱狂的に獲得し、明治ロマン主義短歌の金字塔となった。
1904年——「君死にたまふことなかれ」
1904年9月、日露戦争の旅順攻囲戦に従軍した弟・籌三郎を案じて、晶子は『明星』に長詩「君死にたまふことなかれ」を発表。評論家・大町桂月は「乱臣賊子なり」と激しく攻撃したが、晶子は一歩も引かず反論。日本近代詩史上最も有名な反戦詩の一つとなった。
─ 完 ─
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