1878年、大阪府堺市の老舗和菓子商「駿河屋」の三女として生まれた。本名は鳳志やう。幼少期から店番の傍ら古典文学を乱読し、和歌の才能を開花させた。1900年、大阪に来た歌人・与謝野鉄幹と知り合い、翌1901年に家を出て上京。鉄幹の主宰する新詩社に参加し、処女歌集『みだれ髪』(1901年)を刊行。女性の官能・自我・性愛をおおらかに詠う大胆な作風は伝統歌壇から激しい反発を受けたが、浪漫派歌人のスタイルを確立し、明治ロマン主義の金字塔となった。同年、鉄幹と結婚。1904年9月、日露戦争で旅順攻囲戦に従軍する弟を案じて長詩『君死にたまふことなかれ』を雑誌『明星』に発表、反戦詩として大きな反響と論争を巻き起こした。鉄幹との間に12人の子をもうけ、家計を支えるため旺盛に執筆。1911年、平塚らいてうの女性文芸誌『青鞜』創刊号に詩を寄せ、1912年にはパリへ渡り鉄幹と合流。『源氏物語』の現代語訳(与謝野訳源氏)を3度にわたって完訳し、文化学院の創立にも参加。晩年まで女性解放・教育問題・平和主義に積極的に発言し続けた。1942年、東京荻窪の自宅で64歳で没。