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PERSON
吉田茂
吉田茂
戦後日本を形作った「ワンマン宰相」
1878-1967 · 享年 89歳
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生涯
1878年9月22日、東京に自由民権運動家・竹内綱の五男として生まれ、横浜の貿易商・吉田健三の養子となった。東京帝国大学法科大学政治科を卒業後、外務省に入り奉天総領事・イタリア大使・英国大使などを歴任。戦時中は和平工作に関わり1945年に憲兵隊に拘束された。戦後、幣原内閣の外相を経て1946年5月、第45代内閣総理大臣に就任。以後第48・49・50・51代と通算5期、約7年間にわたり首相を務めた。1951年9月8日、サンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約に調印、日本の独立回復と日米同盟の基盤を築いた。1954年12月、造船疑獄と鳩山一郎との対立により退陣。政界引退後は大磯の自宅から「大磯詣で」と呼ばれる政治的影響力を保ち、池田勇人・佐藤栄作ら「吉田学校」出身の総理を輩出した。1967年10月20日、大磯で89歳で没、戦後初の国葬が営まれた。
人物像
「ワンマン宰相」と呼ばれた強烈な個性の持ち主。葉巻を愛し、毒舌・皮肉・ユーモアで政敵を翻弄した。英国流のダンディズムを好み、白足袋に杖という独特の姿で知られた。側近には「バカヤロー」と怒鳴る一方、孫の麻生太郎を溺愛するなど人間味も豊か。外交官出身らしく国際感覚に優れ、「軽武装・経済重視」の吉田ドクトリンを貫いた。
歴史的意義
吉田の「軽武装・経済重視」路線は戦後日本の基本国策となり、高度経済成長の下地を作った。日米安保体制は現在も日本外交の基軸であり、吉田ドクトリンの評価は今日も続く。「吉田学校」出身の池田勇人・佐藤栄作・宮沢喜一・麻生太郎(孫)らが後に首相となり、自民党保守本流を形成した。大磯の吉田邸跡は「大磯城山公園旧吉田茂邸地区」として一般公開されている。1967年の国葬は戦後唯一のものであり、安倍晋三の国葬(2022年)論議の先例となった。
逸話・エピソード
1951年——サンフランシスコ講和会議での孤高の演説
1951年9月、吉田は全権代表としてサンフランシスコ講和会議に臨んだ。演説原稿は当初英語で書かれていたが、吉田は「日本代表が英語で演説するのはおかしい」として直前に日本語演説に切り替え、長大な巻紙を広げて読み上げた。この巻紙演説は「トイレットペーパー演説」と揶揄されつつも、日本の国際社会復帰を印象づけた歴史的場面となった。同日調印された日米安保条約は別室で、吉田ただ一人が日本側代表として署名し、戦後日米関係の基盤を一身に背負った。
「バカヤロー解散」——1953年
1953年2月28日、衆議院予算委員会で社会党・西村栄一議員の質問に苛立った吉田は、着席直前に「バカヤロー」と呟いた。マイクがこれを拾ったことから大騒動となり、懲罰動議・内閣不信任案が可決されて吉田は衆議院を解散した。この「バカヤロー解散」は戦後日本の議会史に残る珍事件となったが、吉田のワンマンぶりを象徴する逸話として今も語り継がれている。選挙結果は自由党の議席減となり、翌1954年の退陣への伏線となった。
名言
「バカヤロー、もっとしっかりせんか」
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