室町幕府第六代将軍・足利義教の子として京都に生まれ、1449年に第八代将軍に就任した。将軍在職中は政治的に無能とも評される施政を行い、財政難・飢饉・一揆が頻発する中でも積極的な政治改革を行わなかった。将軍後継問題をめぐる義兄・畠山持国との対立や、実弟・義視と長男・義尚の後継争いが応仁の乱(1467-1477年)の遠因となった。応仁の乱で京都が焼け野原となる中、義政は政治への関心を失い、美術・工芸・茶の湯・庭園に没頭していった。1473年に将軍職を子の義尚に譲り、1482年から東山の地に山荘(東山殿)の造営を始めた。この山荘は義政の死後、禅寺・慈照寺(通称:銀閣寺)となった。書院造と枯山水庭園を組み合わせた東山文化の集成として、現在も世界遺産に登録されている。能・連歌・水墨画など「東山文化」と呼ばれる日本文化の精華を支援・育成し、後の日本文化に計り知れない遺産を残した。1490年に55歳で死去。