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PERSON
足利義政
足利義政
銀閣寺を建てた室町第八代将軍
1436-1490 · 享年 54歳
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生涯
室町幕府第六代将軍・足利義教の子として京都に生まれ、1449年に第八代将軍に就任した。将軍在職中は政治的に無能とも評される施政を行い、財政難・飢饉・一揆が頻発する中でも積極的な政治改革を行わなかった。将軍後継問題をめぐる義兄・畠山持国との対立や、実弟・義視と長男・義尚の後継争いが応仁の乱(1467-1477年)の遠因となった。応仁の乱で京都が焼け野原となる中、義政は政治への関心を失い、美術・工芸・茶の湯・庭園に没頭していった。1473年に将軍職を子の義尚に譲り、1482年から東山の地に山荘(東山殿)の造営を始めた。この山荘は義政の死後、禅寺・慈照寺(通称:銀閣寺)となった。書院造と枯山水庭園を組み合わせた東山文化の集成として、現在も世界遺産に登録されている。能・連歌・水墨画など「東山文化」と呼ばれる日本文化の精華を支援・育成し、後の日本文化に計り知れない遺産を残した。1490年に55歳で死去。
人物像
政治家としての資質に乏しく優柔不断との批判を受ける一方、芸術的感受性は当代随一であった。美の探求に真摯に向き合い、質素で洗練された「わび・さび」の世界観を体現した東山文化の創出に人生をかけた。混乱の時代を生きながらも美的な理想郷を追い求めた姿は、後世に独特の哀愁とともに語り継がれる。
歴史的意義
東山文化は「わび・さび」を基調とする日本文化の基盤を形成し、その精神は後の桃山文化・江戸文化に受け継がれた。銀閣寺・石庭・茶道・能・連歌・水墨画など、現代の「日本文化らしさ」の多くは義政の時代に原型を結んでいる。世界遺産「古都京都の文化財」の一部として銀閣寺は現代でも世界中の人々を魅了している。
逸話・エピソード
銀閣寺と東山文化
政治を放棄し、東山に隠棲して銀閣(慈照寺)を建立。わび・さびの美意識を追求し、書院造・枯山水・茶道・華道など日本文化の原型を完成させた。
応仁の乱を招いた男
後継者問題の優柔不断が応仁の乱(1467-1477年)を招き、京都を焼け野原にした。しかし戦火の中でも文化活動に没頭し続けたという。
関連する歴史的事件
1467
応仁の乱
1467年から1477年にかけて京都を主戦場に繰り広げられた室町幕府最大の内乱。足利将軍家の後継争いに細川勝元(東軍)と山名宗全(西軍)の管領家の対立が絡み合い、十一年にわたる大乱となった。京都は東軍・西軍の陣地に分かれ、市街地の大半が焼け野原となった。戦国時代の直接的な契機となった戦乱であり、幕府権威は地に落ち、下克上の風潮が全国に広まった。応仁の乱をもって日本の中世が終わり、戦国時代が始まるとする歴史観が一般的であり、日本史上最も重要な内乱の一つとして評価される。
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