足利義詮の子として生まれ、10歳で三代将軍に就任した。管領・細川頼之に補佐されながら成長し、親政を開始すると幕府権力の強化に尽力した。1392年に南北朝の合一を実現し、約60年にわたる朝廷の分裂を終息させた歴史的偉業を成し遂げた。守護大名の権力抑制にも積極的で、山名氏清を討った明徳の乱(1391年)、大内義弘を滅ぼした応永の乱(1399年)など、有力大名の叛乱を次々に鎮圧して幕府権威を確立した。1394年に将軍職を子・義持に譲り出家したが、実権は引き続き掌握した。明(中国)との国交を再開して勘合貿易を開始し、巨大な経済的・文化的利益をもたらした。北山山荘(現・鹿苑寺、金閣寺)を造営し、世阿弥を庇護して能楽を大成させるなど、北山文化の隆盛をもたらした。1408年、51歳で没した。太政大臣への就任、「日本国王」号の使用など、将軍を超えた地位を求めた姿勢は後世に様々な評価をもたらした。