応永元年(1394年)、四代将軍・足利義持の弟として生まれ、出家して天台座主となっていた。兄・義持が嗣子なく没すると、くじ引きによって六代将軍に選ばれた(1428年)。将軍就任後は幕府権威の回復に精力的に取り組み、鎌倉公方の足利持氏を圧迫して永享の乱(1438年)で滅ぼした。また西国の守護大名の勢力削減にも乗り出し、赤松満祐ら有力大名の領地削減を断行した。その苛烈な政治姿勢から「万人恐怖」と呼ばれた。1441年、嘉吉元年に赤松満祐の宴に招かれ、宴席で暗殺された(嘉吉の乱)。享年48歳。強権政治で幕府権威の回復に努めたが、守護大名の反発を招き暗殺という形で命を落とした。その死後、幕府の権威は急速に低下した。