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PERSON
足利義教
足利義教
万人恐怖・六代将軍
1394-1441 · 享年 47歳
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生涯
応永元年(1394年)、四代将軍・足利義持の弟として生まれ、出家して天台座主となっていた。兄・義持が嗣子なく没すると、くじ引きによって六代将軍に選ばれた(1428年)。将軍就任後は幕府権威の回復に精力的に取り組み、鎌倉公方の足利持氏を圧迫して永享の乱(1438年)で滅ぼした。また西国の守護大名の勢力削減にも乗り出し、赤松満祐ら有力大名の領地削減を断行した。その苛烈な政治姿勢から「万人恐怖」と呼ばれた。1441年、嘉吉元年に赤松満祐の宴に招かれ、宴席で暗殺された(嘉吉の乱)。享年48歳。強権政治で幕府権威の回復に努めたが、守護大名の反発を招き暗殺という形で命を落とした。その死後、幕府の権威は急速に低下した。
人物像
強烈な権威意識と冷徹な決断力を持つ独裁的な支配者。くじ引きで選ばれた将軍という出自を克服するために、より強硬な政策を取り続けた面もある。情け容赦のない粛清と恩賞の使い分けで家臣を掌握しようとしたが、その峻烈さが最終的に己の破滅を招いた。宗教的な権威(天台座主の経歴)と世俗の権力を統合しようとする野心的な側面もあった。
歴史的意義
嘉吉の乱は将軍が家臣に暗殺された稀有な事件として歴史に残り、幕府権威の決定的な低下を招いた。義教が弱めた守護大名の勢力は、その後の応仁の乱(1467年)へとつながる不安定な政治情勢を生んだ。強権をもって幕府権威の復活を目指した改革者という評価も近年高まっている。
逸話・エピソード
嘉吉の乱——将軍・足利義教の暗殺と室町幕府の権威失墜
足利義教は「くじ引き将軍」として6代将軍に就任したが、専制的な政治で有力大名を弾圧した。1441年に有力守護大名・赤松満祐が宴席で義教を暗殺する「嘉吉の乱」が起きた。将軍が守護大名に暗殺されるという前代未聞の事件は室町幕府の権威を著しく失墜させ、その後の「応仁の乱」(1467年)への伏線となった。「万人恐怖」とも呼ばれる独裁的な治世が終わりを告げた瞬間だった。
ゆかりの地 — 1
崇禅寺
大阪府
嘉吉元年(1441年)6月24日、室町幕府6代将軍・足利義教は播磨守護・赤松満祐の京都自邸での宴席に招かれた場で暗殺された(嘉吉の乱)。赤松勢は将軍の首を槍先に掲げて本領播磨へ退却する途中、この地に義教の首を放置したと伝わる。恐怖政治を敷いた「万人恐怖」「悪御所」と呼ばれた義教の悲惨な最期を受け、翌年、7代将軍義勝の命で重臣・細川持賢が当寺を菩提寺として整備し大伽藍を再建した。境内の「足利義教首塚」は将軍の首が葬られたと伝わる供養塔で、全国でも珍しい将軍首塚として歴史ファンの巡礼地となっている。
─ 完 ─
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