妙林尼
妙林尼
鶴崎城を守った尼将軍
?-1591 · 享年 71歳
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生涯
生年は不詳。大友氏重臣・吉岡氏当主の妻で、夫は天正6年(1578年)の耳川の戦いで戦死した。夫の死後、剃髪して妙林尼と号し、子・吉岡統増の後見として鶴崎城を実質的に取り仕切った。天正14年(1586年)12月、島津軍の豊後侵攻に際し、城主・統増が府内(現・大分市)の防衛に出て不在となった鶴崎城を、老臣とわずかな農民のみで守ることになった妙林尼は、農民に鉄砲の扱いを教え、城下に偽の陣地や罠を仕掛けるなどの奇策を用いて、押し寄せる島津軍を16度にわたって撃退したと伝わる。最終的には城兵の助命を条件に開城したが、その巧みな籠城戦は敵将・島津方からも称賛されたと伝わる。天正19年(1591年)に没したとされる。
人物像
夫を戦で失いながらも動じず、老臣と農民のみという絶望的な戦力で大軍に立ち向かった知略と胆力を兼ね備えた女性。鉄砲の訓練や奇策を駆使する軍略家としての手腕は敵将さえも称賛したと伝わる。
歴史的意義
女性でありながら城を実質的に指揮し大軍を16度撃退したという逸話は、戦国期の女性の武勇伝として今に語り継がれ、鶴崎城跡とともにその名を残している。
─ 完 ─
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