源為義の長男として生まれ、若くして坂東武者の棟梁として頭角を現した。父・為義が保元の乱(1156年)において崇徳上皇方に与したのに対し、義朝は後白河天皇方に属して勝利を収め、父兄弟を自ら斬首することで武名を高めた。しかし恩賞が期待を大きく下回ったため平清盛との対立が深まり、1159年の平治の乱では藤原信頼と組んで後白河上皇を幽閉し政権奪取を図った。しかし清盛の軍勢に敗れ、義朝は東国へ向けて落ち延びる途中、1160年1月に尾張国野間で家人の鎌田政清の舅・長田忠致に裏切られ、入浴中に暗殺された。享年37歳。その悲劇的な最期と、後に鎌倉幕府を開いた頼朝・義経ら英傑を多く生んだことで、後世の物語や軍記物語の格好の素材となった。