元永元年(1118年)頃の生まれと伝わる(生没年は諸説あり)。紀伊国在田郡を本拠とした武士で、康治2年(1143年)、広安山城から湯浅荘に湯浅城を築いて居を移した。平治元年(1159年)、熊野詣の途上にあった平清盛に平治の乱の急報をもたらし、清盛とともに上洛して以後は平家方の有力武士として名を高めた。平家滅亡後、宗重は平重盛の子・忠房を擁して湯浅城に立て籠もったが、文治2年(1186年)に源頼朝に降伏し、所領を安堵された。以後、湯浅城を拠点に子らを有田郡内各地に配して勢力を広げ、「湯浅党」と呼ばれる武士団の基礎を築いた。神仏を篤く崇敬し社寺の修理・造営にも努めたと伝わる。建久6年(1195年)頃に没したとされる。高山寺を開いた明恵上人は宗重の孫にあたる。