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PERSON
湯川秀樹
湯川秀樹
日本初ノーベル物理学賞・中間子理論
1907-1981 · 享年 74歳
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生涯
東京市小石川(現・文京区)に生まれ、京都で育つ。父・小川琢治は地質学者、兄弟にも学者が多い学術的な家庭で育った。京都帝国大学理学部で物理学を学び、1933年に大阪帝国大学(現・大阪大学)助教授に就任した。1934年11月、原子核内に中間子(中性子と陽子を結びつける力の媒介粒子)の存在を予言する「中間子理論」を発表した。この理論は当初国際的にほぼ無視されたが、1947年にイギリスのパウエルらが宇宙線観測でパイ中間子(π中間子)を実際に発見し、湯川理論の正しさが証明された。1949年、日本人として初めてノーベル物理学賞を受賞した。敗戦から4年後という時期の受賞は、打ちひしがれた日本国民に大きな希望と誇りをもたらした。晩年は核兵器廃絶運動「パグウォッシュ会議」に参加し、科学者として平和を訴えた。著書「旅人」は自伝的随筆として多くの読者に愛された。京都大学基礎物理学研究所(現・湯川記念館)は物理学研究の国際的拠点として今も活動している。享年74歳。
人物像
内省的で思索を重んじる純粋な学者気質。研究の世界に没頭しながら、晩年は核廃絶・平和という人類的テーマにも深い関心を寄せた。謙虚で静かな人柄でありながら、科学と平和への深い信念を持ち続けた。
歴史的意義
日本人初のノーベル賞受賞者として戦後日本の科学復興の象徴。中間子理論は素粒子物理学の発展に多大な貢献をした。「ノーベル賞への道を開いた人」として後世の日本人科学者の精神的拠り所となっている。
逸話・エピソード
中間子理論——日本初のノーベル物理学賞と核廃絶への訴え
湯川秀樹は1935年に核力を媒介する「中間子」の存在を理論的に予言し、1949年に日本人初のノーベル物理学賞を受賞した。この受賞は敗戦直後の日本国民に大きな希望を与えた。また原水爆廃絶運動に積極的に関わり、1955年の「ラッセル=アインシュタイン宣言」に日本人で唯一署名した平和運動家でもあった。
名言
辞世
「素粒子の世界を旅して、自然の不思議と美しさに感動する日々であった」
─ 完 ─
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