天文3年(1534年)生まれ。下総結城氏17代当主として結城城(現・茨城県結城市)を本拠とし、下野・常陸方面の諸勢力の間で結城家の存続を図った。実子に恵まれなかったため、天正18年(1590年)の小田原征伐の際に豊臣秀吉に願い出て、徳川家康の次男・秀康(後の結城秀康)を養子として迎え入れ、結城家18代当主とした。晴朝は家督を秀康に譲ると、下野国小山の中久喜城(別名・栃井城)に入って隠居し、以後の日々をここで過ごした。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで家康が勝利すると、秀康は恩賞として結城10万石から越前国北ノ庄67万石へ加増転封され、晴朝や家臣団の多くも慶長6年(1601年)に結城を離れた。晴朝は慶長19年(1614年)に80歳で没した。