秀吉の養子から家康の次男へ——翻弄された幸松丸の数奇な運命
結城秀康は家康の次男でありながら、1585年に豊臣秀吉との和睦の条件として人質に出された。後に下総結城家の養子となり、関ヶ原(1600年)後に越前北ノ庄(後の福井)67万石という大封を得た。秀康は武勇に優れた人物だったが、梅毒を患い1607年に33歳で早世した。越前松平家の祖として、その後の越前松平家は御三家に次ぐ「御連枝」として幕末まで続いた。幕末には松平春嶽(慶永)が名君として知られ、秀康の流れを汲む越前松平家の存在感は大きかった。