湯島天満宮の歴史——1500年の祭神と道真公の合祀
雄略天皇2年(458年)、天之手力雄命を祀る神社として湯島の地に創建されたと伝わる。正平10年(1355年)、住民の請願により菅原道真公が合祀され、以来「湯島天神」として広く崇敬されるようになった。
菅原道真公(845〜903年)は平安時代の学者・政治家で右大臣にまで昇進した人物。幼少から学問に優れ、学問の神・天神様として全国の天満宮に祀られている。
江戸時代、徳川家康が湯島天神を篤く崇敬し、学問の府としての地位が確立された。隣接する湯島聖堂(孔子廟)とともに、江戸の学問の中枢として機能。林羅山をはじめとする儒学者たちも学業成就を祈願した。
江戸時代、境内では「富くじ」(宝くじの原型)が行われ、目黒不動・谷中感応寺とともに「江戸の三富」に数えられた。庶民が一攫千金を夢見て集まり、境内は大いに賑わった。
明治40年(1907年)の泉鏡花の小説「婦系図」は、主人公・早瀬主税とお蔦の別れの場面——「切れるの別れるの、それは芸者の時に言う言葉」——が湯島天神の境内で交わされる設定で、今も「新派の聖地」として演劇ファンに親しまれる。境内には泉鏡花の筆塚と「湯島の白梅」の歌碑が建てられている。