舞鶴(まいづる)という地名は、「田辺(たなべ)」から改称されたもので、城山の姿が舞鶴に見えることから名付けられたとも伝わる。田辺城(舞鶴城)は文禄4年(1595年)に細川藤孝(ふじたか・幽斎・ゆうさい、1534〜1610年)が城主となり、歌人・文化人として「古今和歌集(こきんわかしゅう)」の伝授者(古今伝授)として名高い。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの直前、西軍の将・小野木重勝が田辺城を攻囲。幽斎が持つ「古今伝授」の消滅を恐れた後陽成天皇が勅使を派遣して講和を調停し、籠城を終わらせたという逸話は有名。江戸時代は牧野氏(牧野忠精・ただきよらが藩主)の舞鶴藩として続いた。明治34年(190…