千早城は、元弘2年(1332年)に楠木正成が金剛山中腹の険峻な地形を活かして築いた山城である。鎌倉幕府は倒幕を目指す後醍醐天皇方の正成を攻略するため大軍を派遣したが、正成は奇策と地の利を駆使して少数の兵力で幕府軍の猛攻を退け続けた。この籠城戦は「千早城の戦い」として知られ、元弘3年(1333年)の鎌倉幕府滅亡まで落城しなかったとされる。建武の新政以降、南北朝時代にかけては南朝方の重要拠点として機能した。正成が湊川の戦い(1336年)で戦死した後も城は一定期間維持されたとされるが、南北朝の動乱が収束するにつれ軍事的重要性は低下した。近世以降は城としての機能を失い、江戸時代には遺構のみが残る状態と…