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千早城
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千早城
創建
1332
種別
アクセス
南海・近鉄河内長野駅からバス約30分
大阪府南河内郡千早赤阪村千早
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基本情報
創建 1332
694年目
概要
楠木正成が元弘2年(1332年)に金剛山中腹に築いた難攻不落の山城。鎌倉幕府軍の大軍を少数で撃退し続けた正成の智謀の舞台として名高く、南北朝時代における南朝方の重要拠点として歴史にその名を刻む。険峻な山城の遺構は今も続く山道の先に残り、楠木正成ゆかりの地を訪れる歴史ファンが絶えない。大阪南部の金剛山登山とあわせて楽しめる史跡として知られる。
由緒
千早城は、元弘2年(1332年)に楠木正成が金剛山中腹の険峻な地形を活かして築いた山城である。鎌倉幕府は倒幕を目指す後醍醐天皇方の正成を攻略するため大軍を派遣したが、正成は奇策と地の利を駆使して少数の兵力で幕府軍の猛攻を退け続けた。この籠城戦は「千早城の戦い」として知られ、元弘3年(1333年)の鎌倉幕府滅亡まで落城しなかったとされる。建武の新政以降、南北朝時代にかけては南朝方の重要拠点として機能した。正成が湊川の戦い(1336年)で戦死した後も城は一定期間維持されたとされるが、南北朝の動乱が収束するにつれ軍事的重要性は低下した。近世以降は城としての機能を失い、江戸時代には遺構のみが残る状態と…
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1

1333
千早城の戦い
1333年、楠木正成が金剛山の千早城(現在の大阪府南河内郡千早赤阪村)に籠城し、幕府の大軍を相手に長期間持ちこたえた合戦。楠木正成はわずか千人足らずの兵で千早城に籠り、奇策・罠・心理戦を駆使して幕府軍数万を翻弄し続けた。正成は偽の和睦交渉、落とし穴、大岩を転がす防御など多彩な戦術を駆使した。この千早城の長期籠城が幕府軍の主力を南山城に釘付けにし、その間に全国各地で倒幕の動きが活発化した。新田義貞が鎌倉を攻め落とし幕府が滅亡する間接的な要因を作った正成の戦略的籠城戦として評価が高い。
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