枝光八幡宮は建久年間(1190年代)、筑前国の花尾城主・宇都宮重業が下野国宇都宮から氏神・八幡大神を勧請し、花尾城の鬼門にあたる宮田山に祀ったのに始まると伝わる。麻生氏の衰退とともに社領を失ったが、寛永4年(1627年)に現在の諏訪山へ遷座し祭祀を継続した。大正7年(1918年)に諏訪神社を合祀して現在の社殿が建立され、大正15年に県社に列した。鎮座地「八幡」の地名は、明治22年(1889年)の3村合併の際、各村の鎮守が八幡宮だったことに由来する。1901年に官営八幡製鉄所が操業を開始し、日本近代製鉄の中心地となった枝光・八幡において、枝光八幡宮は地域住民の精神的支柱であり続けた。