別子銅山は、元禄4年(1691年)に住友家が伊予国(現・愛媛県新居浜市)の山中で銅鉱床を発見・開坑したことに始まる。開山当初から豊富な銅の産出量を誇り、江戸幕府の重要な財源のひとつとなった。近世を通じて採掘が続けられたが、18世紀後半には当初の山頂付近の鉱脈が次第に枯渇し、採掘坑は山の深部へと移行していった。明治維新後、住友家は近代的な製錬・採掘技術を積極的に導入し、別子銅山は日本の近代化と産業革命を象徴する拠点となった。東平(とうなる)地区は明治30年代から大正期にかけて採掘の中心地として整備され、索道・発電所・事務所・住宅などのインフラが標高750メートルの山中に構築された。昭和48年(1…