発心門王子の創建年代は明らかでないが、熊野三山への参詣が盛んになる平安時代中期以降に整備されたとされる。九十九王子は熊野御幸の途上に点在する末社群であり、発心門王子はその中でも格式の高い「五体王子」の一つに数えられた。11世紀末から12世紀にかけて、白河・鳥羽・後白河・後鳥羽といった上皇が熊野御幸を繰り返し行い、発心門王子では必ず禊や祈祷が執り行われたと伝わる。「発心門」の名は仏道修行への志を発する門を意味し、ここより先が熊野の聖域とみなされた。中世以降、武家や庶民にも熊野参詣が広まるにつれ、発心門王子はその重要な結界として機能し続けた。近世には紀州藩の庇護のもと参詣道の整備が進んだとされるが…