[ まだ写真がありません ]
最初の一枚を投稿しませんか
八幡宮(小栗栖)
京都府
京都市伏見区小栗栖(おぐるす)宮山町に位置する八幡宮で…
創建
1000
種別
神社
アクセス
京都府京都市伏見区小栗栖宮山町2番地
Google Map で開く ↗
基本情報
神社
創建 1000
1026年目
御祭神・御本尊
誉田別命
応神天皇
概要
京都市伏見区小栗栖(おぐるす)宮山町に位置する八幡宮で、「明智光秀(あけちみつひで)が本能寺の変(1582年)の後に落ち延び、農民に討ち取られた」と伝わる「小栗栖(おぐるす)」の地に立つ。天正10年(1582年)6月2日に織田信長(おだのぶなが)を本能寺に討った明智光秀は、13日後の6月13日に羽柴秀吉(はしばひでよし・後の豊臣秀吉)に山崎の戦いで敗北し、坂本城(滋賀県)へ向かう途中で家臣と離れ離れになり、この小栗栖の竹藪(たけやぶ)で農民・中村次郎兵衛(なかむらじろうべえ)に槍(やり)で刺されて落命したと伝わる。「三日天下」の言葉を生んだ光秀の最期の地として知られる歴史の地。
由緒
本能寺の変(ほんのうじのへん)は天正10年(1582年)6月2日の未明、織田信長が宿泊していた京都の本能寺(中京区)を家臣・明智光秀が約1万3,000の兵で包囲し、信長を自害に追い込んだ事件。光秀が謀反を起こした動機は「怨恨説・野望説・黒幕説(足利義昭・羽柴秀吉・イエズス会)」など諸説あり、現在も歴史学者の間で論争が続く。本能寺の変後、光秀は安土城(滋賀県)を占拠して信長の後継者となるべく諸将への連絡を試みたが、九州征伐中だった羽柴秀吉が「中国大返し(ちゅうごくおおがえし)」と呼ばれる急速な引き返しで岐阜へ向かい、天正10年(1582年)6月13日に天王山の戦い(山崎の戦い)で光秀軍を撃破した…
もっと読む
ご利益
武運長久・勝運
安産・子授け
出世開運
勝負運・スポーツ必勝・試験突破の勝運。八幡宮や諏訪大社など武門の守護神に由来。
御祭神「誉田別命(応神天皇)」のご神徳に由来
みんなの投稿
0
まだ投稿がありません
御朱印
まだ御朱印の投稿がありません
情報を提案する
位置のずれ / 由緒 / 参拝時間 / アクセス / 設備 / 注意事項 などを提案できます
事実と違う内容を報告
📱
アプリでもっと便利に
GPS自動スタンプ・オフライン閲覧・推し活機能
App Store からダウンロード
📱
アプリで巡礼を楽しむ
App Store からダウンロード