名護は沖縄本島北部(ヤンバル)の中心地であり、琉球王国時代から地方行政の要所として栄えた。平安寺の前身となる念仏道場ないし布教所は、明治以降に本土から沖縄へ赴任した移民・官吏とともに浄土真宗信仰が持ち込まれた流れの中で成立したとされる。太平洋戦争末期の沖縄戦では、名護市周辺も戦場となり多くの建物が失われた。戦後、米軍統治下で帰還した住民が互いの信仰を支え合うかたちで礼拝の場を復活させ、本土復帰(1972年)後に正式な寺院組織として整備されたと伝わる。現在は名護市北部地域の葬送・年忌法要の中心的な役割を果たし、浄土真宗の勤行を通じて祖先供養の場を提供している。