中山道上尾宿の総鎮守として知られる神社で、地元では古くから「お鍬さま」と呼ばれてきた。寛永8年(1631)12月、桶川宿方面から童子らが台車に櫃を乗せて宿場を伝い、上尾宿本陣前で台車が動かなくなったとの伝承が残る。翌正月に櫃を開けると小鍬2挺と稲穂十余茎が入っており、これを御神体として社を建立したとされる。江戸時代には「御鍬太神宮」「鍬大神宮」と称し、宿場の農業守護神として篤く信仰された。天明8年(1788)には儒者・雲室らを招き、朱子と菅原道真を祀る郷学「聚正義塾」の学舎を境内に設けた。明治41年(1908)、二ツ宮の氷川神社女体社ほかを合祀して現社名となった。