武野紹鴎(1502〜1555)は堺の豪商の子として永正年間に生まれ、はじめ連歌師として三条西実隆に師事した後、茶の湯に転じて「侘数寄」の美学を深めた。村田珠光の流れを受け継ぎながら藤原定家の和歌の精神を茶に取り込み、「侘び」の境地を独自に深化させた。この屋敷において弟子の千利休(幼名・与四郎)を育て、侘び茶の奥義を伝えた。天文24年(1555年)、54歳頃に没し、その精神は利休に受け継がれた。利休が「茶聖」として侘び茶を完成させる礎は、紹鴎のこの堺の屋敷における教えにあった。現在は石碑のみが残るが、日本茶道史を語る上で欠かせない師弟の場として訪れる人が絶えない。