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武野紹鴎屋敷跡
大阪府
千利休の師・武野紹鴎の屋敷跡—連歌師でもあった紹鴎が「侘数寄」を磨き利休に受け継がせた茶の湯の源流
創建
1502
種別
史跡
アクセス
阪堺線宿院駅から徒歩3分
大阪府堺市堺区宿院町西1丁
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基本情報
史跡
創建 1502
524年目
概要
千利休の師・武野紹鴎の屋敷跡。紹鴎は堺の豪商の子として生まれ、村田珠光の「侘数寄」を発展させて利休に受け継がせた。現在は石碑が残るのみだが、利休屋敷跡に隣接し、堺における茶の湯の源流を示す史跡。紹鴎は連歌師でもあり、その美的感覚が侘び茶の美学確立に深く貢献した。堺の豊かな商業文化と文人的素養を兼ね備えた紹鴎の存在なくして、その後の利休の革新はあり得なかったとも言われる。千利休屋敷跡・南宗寺・さかい利晶の杜と合わせた「茶の湯の源流・堺」散策コースの重要な史跡として、茶道史に興味を持つ参拝者が足を運ぶ。
由緒
武野紹鴎(1502〜1555)は堺の豪商の子として永正年間に生まれ、はじめ連歌師として三条西実隆に師事した後、茶の湯に転じて「侘数寄」の美学を深めた。村田珠光の流れを受け継ぎながら藤原定家の和歌の精神を茶に取り込み、「侘び」の境地を独自に深化させた。この屋敷において弟子の千利休(幼名・与四郎)を育て、侘び茶の奥義を伝えた。天文24年(1555年)、54歳頃に没し、その精神は利休に受け継がれた。利休が「茶聖」として侘び茶を完成させる礎は、紹鴎のこの堺の屋敷における教えにあった。現在は石碑のみが残るが、日本茶道史を語る上で欠かせない師弟の場として訪れる人が絶えない。
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