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JR掛川駅から徒歩約10分
静岡県掛川市掛川
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文明年間(1469年〜)に今川氏が築き、天正18年(1590年)に山内一豊が大改修した東海道の名城。1994年に木造で復元された天守閣は「東海の名城」と称され、日本初の本格的な木造復元天守として注目を集めた。城下町の風情も色濃く残り、二の丸茶室や竹の丸など見どころが多い。JR掛川駅から徒歩圏内という好立地で、東海道を旅する観光客にも立ち寄りやすい静岡西部の名城のひとつ。
掛川城の歴史は、文明年間(1469〜1487年)に今川氏の家臣・朝比奈泰煕が城を築いたことに始まるとされる。当初は東海道の要衝を押さえる拠点として機能し、今川氏の勢力圏内に置かれた。戦国時代には武田氏や徳川氏との攻防の舞台ともなり、天正3年(1575年)の長篠の戦い以降、徐々に徳川氏の影響下に入った。天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐後に山内一豊が城主となり、近世城郭として大規模な拡張・整備を行った。一豊は天守閣を建立し、城下町の整備にも力を注いだとされる。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い後、山内一豊は土佐へ転封となり、以後は徳川譜代の大名が城主を務めた。明治維新後の廃城令(1…
掛川城は今川氏親が1497年頃に朝比奈泰煕に命じて築かせた城であり、今川氏の遠江支配の拠点として機能した。義元はこの城を遠江統治の要として重視し、義元の権勢下で掛川城下は繁栄した。義元が桶狭間で倒れると今川氏の遠江支配も揺らぎ始めた。
武田信玄は遠江侵攻において掛川城の攻略を目指した。信玄が遠江に進出することで今川旧臣たちの帰趨が問われ、掛川城をめぐる争奪戦は遠州の支配権を決する重要な軍事的焦点となった。
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