曹洞宗の寺院で、第2代古河公方・足利政氏が永正16年(1519)に自らの館を寺に改めて創建した。政氏は嫡男・高基との家督争いに敗れて各地を転々とした末、久喜に隠退。自身の法号「甘棠院」を寺号とし、子の貞巖を開山とした。境内には空堀と土塁が残り、東西約100メートル・南北約250メートルの規模を示す。天文17年(1548)の火災で焼失したが再建され、歴代古河公方の葬儀が執り行われたと伝わる。江戸時代には徳川歴代将軍から100石の朱印地を受け、格式ある寺院として維持された。昭和14年(1939)に埼玉県指定史跡「足利政氏館跡及び墓」に指定(後に指定日確定。大正14年3月31日指定)されており、戦国…