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清洲城
愛知県
創建
1405
種別
アクセス
JR清洲駅徒歩20分
愛知県清須市朝日城屋敷1-1
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基本情報
創建 1405
621年目
概要
清須市に位置する、織田信長の居城として知られる城跡。応永12年(1405年)に斯波義重が築き、尾張守護の本拠地となった。信長が拠点として桶狭間の戦い(1560年)出陣の地であり、永禄10年(1567年)まで約12年間本城として使用した。信長の岐阜移転後、本能寺の変(1582年)翌月に秀吉が後継者選定の「清洲会議」を開いた舞台。現天守は1989年復元で五条川沿いの景観が美しく、城下町探訪も楽しめる人気の観光地。
由緒
応永12年(1405年)、斯波義重によって築城され、尾張守護の本拠地として機能した。室町時代を通じて斯波氏の支配下に置かれたが、やがて守護代・織田氏が台頭し、実権が移行していった。天文年間(1532〜1555年)ごろには織田信長の父・信秀も清洲に関与し、のちに信長が拠点とするに至る。永禄3年(1560年)、信長はこの城を本拠に桶狭間の戦いへ出陣し、今川義元を破る歴史的勝利を収めた。永禄10年(1567年)、信長が岐阜城へ本拠を移すまでの約12年間、清洲城は尾張統一の中心地であった。天正10年(1582年)、本能寺の変の翌月、羽柴秀吉・柴田勝家ら重臣が後継者と領地配分を協議した「清洲会議」がここ…
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織田信長とのつながり
信長は永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いに清洲城から出陣し、今川義元を討ち取った。尾張を統一した信長にとって清洲城は天下統一への足掛かりとなった最初の拠点城であり、永禄10年(1567年)に岐阜城へ移るまでここを居城とした。
豊臣秀吉とのつながり
天正10年(1582年)6月、本能寺の変後の後継者問題を決する「清洲会議」がこの城で開かれた。秀吉は信長の幼い孫・三法師を後継に擁立することを主張し、柴田勝家を抑えて織田家中の主導権を掌握した。

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