「己等乃麻知神社」として延喜式神名帳(927年)に記載される式内社。社伝では成務天皇の時代の創建とされ、大同2年(807年)に坂上田村麻呂が本宮山から現在地へ遷座したと伝わる。永承7年(1052年)、源頼義が石清水八幡宮から八幡神を勧請し現社名の淵源となった。清少納言の『枕草子』に「ことのままの明神、いとたのもし」と記され、願いが言葉のままに叶う神として東海道の旅人の参詣が絶えなかった。江戸時代には十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にも登場し、幕府から厚い崇敬を受けた。東海道の難所・小夜の中山の西麓に位置する。