与那原は那覇に近い港町として琉球王国時代から栄え、首里と外洋を結ぶ交易の要地であった。臨済宗は琉球王府と密接な関係を持つ宗派であり、与那原周辺にも王府ゆかりの禅宗寺院が置かれていたとされる。洪済寺の創建については詳細が不明だが、近世から続く信仰の場が近代以降に臨済宗妙心寺派の体制に組み込まれて整備されたとみられる。1945年の沖縄戦では与那原も激戦地となり、多くの住民が犠牲となった。米軍の艦砲射撃や地上戦で建物が失われ、寺院も被害を受けたと伝わる。戦後に地域住民の手で復興が図られ、本土復帰後に現在の形に整備された。現在は与那原町の法要・仏事を担う地域の寺院として機能している。