清澄三丁目は江戸時代の材木問屋街・木場地区に隣接し、材木商や船大工・職人が集住した地域である。三穂道別稲荷神社の「三穂道別(みほちわき)」は、稲穂の霊を祀る稲荷系統の中でも珍しい神名で、農業の豊穣だけでなく商業の繁盛をも司る神格として崇められてきたと推定される。清澄は幕府の材木置き場として整備され、江戸の建築・土木を支えた木材流通の中心地であった。幕末・明治期には岩崎弥太郎がこの地に別邸を設け(現・清澄庭園)、地域の社会的・経済的性格を変えながらも、稲荷社への信仰は庶民・商人層に引き継がれた。現在も清澄の氏子が社を守り、例大祭を通じて伝統を継承している。