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三木城跡
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三木城跡
兵庫県
創建
1492
種別
アクセス
神戸電鉄三木上の丸駅から徒歩約5分
兵庫県三木市上の丸町
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基本情報
創建 1492
534年目
概要
三木市上の丸町にある別所氏の居城。室町時代後期、別所則治が築き、別所長治の時代に全盛を極めた。天正6年(1578年)、織田信長の部将・羽柴秀吉が播磨攻略のために2年間にわたって三木城を包囲した「三木合戦」(三木の干殺し)の舞台。兵糧攻めにより飢えに苦しんだ城兵を救うため、天正8年(1580年)1月17日、城主・別所長治は一族の自害と引き換えに城兵の助命を条件に降伏し、25歳で自刃した。「今はただうらみもあらじもろ人の命にかはる我が身と思へば」の辞世の句は、戦国武将の自己犠牲の精神を象徴する名句として語り継がれる。現在は三木城跡公園として整備され、国の史跡に指定。
由緒
三木城は、延徳4年(1492年)に別所則治によって築かれたと伝わる。別所氏は播磨国を拠点とする有力国人領主であり、室町時代後期から戦国時代にかけて勢力を拡大した。16世紀中頃、別所長治の時代に城下町の整備が進み、三木城は播磨における別所氏支配の中枢として全盛期を迎えた。天正6年(1578年)、織田信長の命を受けた羽柴秀吉は播磨攻略を開始し、三木城を包囲。秀吉は兵糧の搬入路を遮断する兵糧攻め(「三木の干殺し」)を展開し、約2年間にわたる長期包囲戦となった。籠城した将兵は極度の飢餓に追い詰められ、天正8年(1580年)1月17日、城主・別所長治は城兵の助命を条件に、自身と一族の自害をもって降伏した…
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