登米は、伊達氏の支流・登米伊達家が治めた城下町として江戸時代に発展した。慶長年間(17世紀初頭)に登米城(別称・錦城)を中心とした藩政が整えられ、武家屋敷・町人地が形成された。明治維新後の廃藩置県(1871年)により登米県が設置されたが短命に終わり、以後は宮城県に編入された。明治21年(1888年)には現在の「教育資料館」にあたる旧登米高等尋常小学校の建物が建設され、近代洋風木造建築の代表例として後に国の重要文化財に指定された。同じ明治期に建てられた旧警察署(警察資料館)とともに、江戸の武家文化と明治の近代化が共存する「みやぎの明治村」として広く知られ、時代劇のロケ地にも多用されている。