1868年(慶応4年)5月から7月にかけて越後(現・新潟県)で行われた戊辰戦争の一局面。長岡藩家老・河井継之助は藩の独立・中立を保つため、ガトリング砲などの最新兵器を独自に調達し、新政府軍に対抗した。山縣有朋率いる新政府軍に対し、長岡藩軍は一時は長岡城を奪還するなど善戦したが、最終的に兵力・物資の差により敗北した。河井継之助は敗走中に銃創が悪化して死去した。この戦争は「小藩の意地」として称えられ、河井継之助はその孤高の生き様から「越後の英雄」として後世に高く評価されている。長岡市には河井継之助記念館が設けられ、彼の遺品やガトリング砲のレプリカが展示されている。現在の長岡城址公園には戦跡の碑が建ち、長岡が豪雪地帯に育んだ反骨の精神を今に伝える。長岡花火は北越戦争戦没者への慰霊が起源とされる。