須佐之男命・奇稲田姫命・大己貴命を祀る延喜式内社(中氷川社の論社)で、旧社格は県社。崇神天皇の御代の創建と伝えられ、足立郡大宮の氷川神社と西多摩の奥氷川神社の中間に鎮座することから「中氷川」と称されるとされる。入間・多摩二郡92か村の総鎮守として崇敬を集め、平安末期に山口家継が社殿を造営したが兵火により焼失。天正年間(1573〜1593年)には山口高忠(高定)が山口城とともに再興した。天正19年(1591年)には徳川家康が4石3斗余の朱印状を下付し、以後幕末まで同待遇が継続された。昭和12年(1937年)に県社へ昇格。境内は狭山丘陵の杜3500坪に及び、大社造りの本殿を持つ。