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幕末に散った明治天皇の叔父・中山忠光を祀り、境内に清朝皇弟・愛新覚羅溥傑を祀る社
山口県下関市綾羅木本町七丁目10番18号
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中山神社は慶応元年(1865年)、長府(豊浦)藩が幕末の尊王攘夷派の公家・中山忠光を祀って創建した神社で、忠光は明治天皇の叔父にあたる。文久3年(1863年)に天誅組の主将として大和で挙兵したが、元治元年(1864年)下関で暗殺された。境内には昭和63年(1988年)造営の愛新覚羅社があり、清朝最後の皇帝・溥儀の弟である愛新覚羅溥傑と、その妻で忠光の曾孫にあたる嵯峨浩、長女・慧生の三柱を祀る。社殿は浩の遺言により中国大陸へ向けて西向きに建てられ、日本と中国の近代史が交差する社として知られる。
中山忠光は明治天皇の生母・中山慶子の弟で、若くして尊王攘夷運動に身を投じた。文久3年(1863年)、天誅組の主将として大和五条で挙兵するも幕府方に敗れ、長州へ逃れた。元治元年(1864年)11月、政治情勢の変化のなかで下関の田耕(たすき)村で暗殺された。慶応元年(1865年)11月、長府(豊浦)藩が忠光の鎮魂のため社殿を創建し、のちに県社に列せられた。忠光の墳墓は国の史跡に指定されている。昭和63年(1988年)、忠光の曾孫・嵯峨浩の遺言に基づき境内に愛新覚羅社が造営された。浩は清朝皇弟・愛新覚羅溥傑の妻で、両者の結婚は満州国と日本を結ぶ政略結婚として知られる。社には溥傑・浩・長女慧生の三柱が…
穢れ祓い・心身の浄化・邪気払い。禊(みそぎ)や護摩の伝統に連なる。
御祭神「中山忠光・明治天皇・天照皇大神」のご神徳に由来
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