JR阪和線岩出駅から和歌山バス「根来寺」下車徒歩1分(約20分)
和歌山県岩出市根来2286
Google Map で開く ↗
災厄消除・方位除け・疫病退散。不動明王・観音・祇園の神を祀る寺社で特に祈願される。
御祭神「大日如来」のご神徳に由来
新義真言宗の総本山として知られる和歌山県岩出市の名刹で、正式には一乗山大伝法院根来寺と号する。大治5年(1130年)に覚鑁(興教大師)が高野山に大伝法院を創建したことに始まり、覚鑁の死後、新義真言宗の本拠が高野山から根来の地に移されて発展した。戦国期最盛期には寺領72万石、僧兵「根来衆」1万人を擁する大宗教勢力に成長したが、天正13年(1585年)の豊臣秀吉による根来攻めで多くの伽藍を焼失。それでも国宝の大塔(多宝塔)は焼失を免れ、1547年頃竣工とされる日本最大の木造多宝塔として今も威容を保つ。境内には大伝法堂・大師堂・大門・光明殿など重要文化財建造物が多数現存し、紀州徳川家の庇護のもと近世に再興された姿を今に伝える。
根来寺は大治5年(1130年)、興教大師覚鑁が鳥羽上皇の院宣を受けて高野山内に大伝法院・密厳院を創建したことに始まる新義真言宗の総本山である。覚鑁は空海以来の真言密教の教学に新風を吹き込み、阿弥陀信仰と密教を融合させる独自の教学を打ち立てたが、保延6年(1140年)に高野山内で他派と対立して下山を余儀なくされ、紀伊国那賀郡石手荘(現・岩出市根来)に拠点を移した。康治2年(1143年)に覚鑁が没した後も、その教えを受け継ぐ門徒たちは弘安年間(1278〜88年)に正式に高野山から大伝法院の本拠を根来に移し、以後この地が新義真言宗の総本山として確立された。中世を通じて根来寺は経済的・軍事的に大きく発…
関連記事
— 1
天正13年(1585年)3月、豊臣秀吉は紀伊国の宗教勢力統制のため、寺領72万石・僧兵約1万人を擁する根来寺に大軍を差し向けた。激戦の末、根来寺の伽藍の大部分は焼き払われ、僧兵勢力は壊滅した(根来攻め)。これにより秀吉は紀伊国の支配権を確立し、その勢いを駆って同年中に四国平定・越中富山の佐々成政討伐へと天下統一事業を進めた。秀吉の根来攻めは中世以来の宗教武装勢力を解体する象徴的事件であり、近世国家の礎を築いた重要な軍事行動として日本史に位置づけられる。
📱
アプリでもっと便利に
GPS自動スタンプ・オフライン閲覧・推し活機能