小手森城は阿武隈山地の谷あいに築かれた畠山(二本松)方の支城で、戦国期には大内定綱の勢力下にあった。天正13年(1585年)、伊達政宗は服属を拒んだ大内定綱を討つべく出陣し、その拠点・小手森城を攻撃。激しい攻防の末に城を落とすと、政宗は城兵のみならず城内の者ことごとくを撫で斬りにしたと伝わる。その数は数百から800人以上ともいわれ、政宗は叔父にあてた書状でこの殲滅を自ら誇示している。この苛烈な処置は周辺の国衆に衝撃を与え、政宗の南奥州平定を一気に進める契機となった。翌天正14年(1586年)には二本松城が開城して二本松(畠山)氏が滅亡する。江戸期には廃城となり、現在は山林に曲輪・堀切などの遺構…