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小手森城跡(撫で斬りの城)
福島県
天正13年、伊達政宗が「撫で斬り」を行ったと伝わる畠山方の山城——二本松攻めの前哨戦の地
創建
1585
種別
アクセス
JR東北本線二本松駅からバス・タクシー利用
福島県二本松市小手森
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基本情報
創建 1585
441年目
概要
福島県二本松市東部の山中に残る小規模な山城跡。天正13年(1585年)、伊達政宗が大内定綱を攻めた際、その支城であった小手森城を攻略し、城兵のみならず城内にいた者を撫で斬り(皆殺し)にしたと伝わる地として歴史に名を残す。政宗自身が書状にこの殲滅を記しており、敵に恐怖を与えるための戦略であったとも、若き政宗の苛烈さを示すものとも評される。この一戦は翌天正14年(1586年)の二本松(畠山)氏滅亡へと続く、政宗の南奥州平定戦の前哨戦であった。現在は山中に曲輪・堀切などの遺構が残り、案内板が設置されている。
由緒
小手森城は阿武隈山地の谷あいに築かれた畠山(二本松)方の支城で、戦国期には大内定綱の勢力下にあった。天正13年(1585年)、伊達政宗は服属を拒んだ大内定綱を討つべく出陣し、その拠点・小手森城を攻撃。激しい攻防の末に城を落とすと、政宗は城兵のみならず城内の者ことごとくを撫で斬りにしたと伝わる。その数は数百から800人以上ともいわれ、政宗は叔父にあてた書状でこの殲滅を自ら誇示している。この苛烈な処置は周辺の国衆に衝撃を与え、政宗の南奥州平定を一気に進める契機となった。翌天正14年(1586年)には二本松城が開城して二本松(畠山)氏が滅亡する。江戸期には廃城となり、現在は山林に曲輪・堀切などの遺構…
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