665年(天智4年)、白村江の戦い(663年)における倭・百済連合軍の敗北を受け、唐・新羅の侵攻に備えるため、大宰府防衛を目的として築かれた古代山城。百済からの渡来人技術者の指導のもと、朝鮮半島の百済式山城の技法を取り入れて建設されたとされる。四王寺山の山頂部を囲む形で、土塁と石垣が約8kmにわたって築かれ、山中には倉庫跡とみられる礎石建物跡が多数確認されている。同時期に築かれた基肄城(佐賀県)とともに、大宰府を守る防衛ラインを形成した。その後、律令体制の安定とともに軍事的機能は次第に低下したとみられるが、城跡は四王寺山一帯に良好な状態で残存した。近代以降、その歴史的価値が評価され、1952年…