曹洞宗寺院で、山号を水月山といいます。龍ヶ谷龍穏寺(現・埼玉県越生町)の16世住僧・鶴峯聚孫(寛永3年・1626年寂)が開山したと伝わります。龍穏寺は徳川家康より「天下大僧録」に任じられた曹洞宗の関三刹のひとつで、ときがわ玉川に開かれた当寺はその末寺として位置づけられます。江戸時代に編纂された『新編武蔵風土記稿』には「本尊釋迦を安ず、外に正觀音の像一軀あり、安阿彌の作と云」と記され、正観音像は運慶系の仏師・安阿弥の作と伝わっています。入比板東三十三所観音霊場の第15番札所としても知られており、周辺地域の観音信仰の拠点として機能してきました。