広福寺の創建年代は明確ではないが、江戸初期(17世紀初頭)までには武雄鍋島家の菩提寺として整備されたと伝わる。関ヶ原の役後に鍋島氏の支配下に入った武雄では、以後200年以上にわたって武雄領主として鍋島家の一流が治め、当寺はその精神的な拠り所として厚く庇護を受けた。境内には歴代武雄領主の墓所が集積し、鍋島茂義(1800〜1862年)をはじめとする領主の墓は武雄市指定文化財に指定されている。茂義は大砲鋳造や洋学研究を奨励した先進的な領主として知られ、その墓は幕末期の武雄の近代化を象徴する。明治維新後、廃仏毀釈の影響を免れ曹洞宗寺院として法灯を継承してきた。現在も境内の歴代領主墓所は保護され、武雄3…