後陽成天皇の曾孫・花山院萬子媛が伏見稲荷の御分霊を勧請して1687年に創建した日本三大稲荷の一つ、「鎮西日光」と称される朱塗り極彩色の社殿が有明海を見下ろす山腹に輝く
JR肥前鹿島駅から車10分。神社前に無料駐車場あり
佐賀県鹿島市古枝乙1855
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鹿島市古枝にある日本三大稲荷の一つで、京都の伏見稲荷大社・茨城の笠間稲荷神社とともに称される全国屈指の稲荷神社。貞享4年(1687年)、鹿島藩主鍋島直朝の継室・花山院萬子媛(後陽成天皇の曾孫)が、輿入れの際に朝廷の勅願所であった伏見稲荷から稲荷大神の御分霊を奉じて勧請し、石壁山に社殿を建立したのが始まり。祭神は衣食住の守護神・倉稲魂大神、芸能・縁結びの大宮売大神、交通安全の猿田彦大神の三柱。山腹の117段を登った高さに鎮座する本殿と、日光東照宮の陽明門を手本に建てられた楼門は総漆塗り極彩色の壮麗な造りで、「鎮西日光」の別名を持つ。商売繁盛・家運繁栄・大漁満足・交通安全などの祈願が絶えず、年間300万人が訪れる九州を代表する大社。
貞享4年(1687年)、鹿島藩主初代・鍋島直朝の継室として京都から輿入れした花山院萬子媛が、父・左大臣花山院定好から授かった稲荷大神の神鏡を奉じて伏見稲荷大社から御分霊を勧請し、石壁山に社殿を建立したのが祐徳稲荷神社の始まりである。萬子媛は後陽成天皇の孫・花山院定好の娘にあたり、朝廷との深いゆかりを持つ公家の女性であった。創建後、萬子媛自らが神職として奉仕し篤く信仰を守り続けたが、宝永2年(1705年)、石壁山の窟に設けた寿蔵にて71歳で断食入定を遂げた。没後に諡名「祐徳院」が贈られ、これが神社名の由来となった。江戸期を通じて鍋島藩の厚い庇護のもと「九州の稲荷」として信仰を集め、全国から参拝者…
事業繁栄・開店繁盛・取引成功。稲荷神社や恵比寿神社で広く祈願される。
御祭神「倉稲魂大神・大宮売大神・猿田彦大神」のご神徳に由来
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