錦見は岩国藩の城下町において、錦川東岸の横山(城山・武家屋敷)と対をなす西岸の市街地として江戸初期から発展した。関ヶ原の戦い(1600年)後に毛利氏一族の吉川広家が岩国領主となり、錦川沿いに武家屋敷・寺院・町人地を整備。延宝元年(1673年)に吉川広嘉が五連アーチの錦帯橋を架橋すると、岩国は山陽路の要衝として繁栄し、錦見には多くの寺院・神社が配置された。西光寺はこの城下整備の過程で、浄土真宗本願寺派(西本願寺系)の布教拠点として錦見に根付いたと伝わる。浄土真宗は中世以来、西日本の庶民に広く浸透した宗旨であり、岩国城下でも多くの門徒寺が各町に置かれた。明治維新後の神仏分離の影響を受けながらも法灯…