光明寺の創建は寺伝によれば推古天皇2年(594年)、聖徳太子が当地に観音霊場を開いたのが始まりとされる。播磨地方の早期仏教伝来を象徴する古刹の一つで、奈良時代を通じて天台系の観音霊場として発展した。中世には山伏修験との結びつきが強く、地域の山岳信仰の拠点として機能した。江戸時代には姫路藩の保護を受けて寺勢を維持し、近世の播磨地方における観音信仰の重要な拠点となった。明治の廃仏毀釈の影響を受けつつも本尊・諸堂は守られ、近代以降は新西国三十三箇所霊場の第28番札所として全国の巡礼者を迎えてきた。山中の境内は紅葉の名所としても知られ、秋の参拝は特に風情がある。