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設楽原決戦場跡
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設楽原決戦場跡
愛知県
創建
1575
種別
史跡
アクセス
JR飯田線新城駅からバス
愛知県新城市竹広字信玄原
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基本情報
史跡
創建 1575
451年目
概要
新城市に位置する天正3年(1575年)「長篠・設楽原の戦い」の主戦場跡。織田信長・徳川家康連合軍が武田勝頼軍を破った歴史的な大戦の地。信長はここで鉄砲3000挺を用いた三段撃ちを駆使し、武田の騎馬軍団を壊滅させたとされる。現在は国の史跡に指定され、周辺には各武将の陣跡を示す史跡碑が点在している。設楽原歴史資料館では出土品や合戦の詳細を学べる。戦国時代の転換点となった「鉄砲戦術の革新」を体感できる歴史の地である。
由緒
天正3年(1575年)5月、織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼軍との間で「長篠・設楽原の戦い」が繰り広げられた主戦場が、現在の愛知県新城市竹広一帯に広がる設楽原である。連合軍は馬防柵を築いてこの地に陣を敷き、約3,000挺の鉄砲を活用した組織的な射撃戦術を用いて武田の精鋭騎馬軍団を迎え撃ったとされる。この戦いで武田軍は山県昌景・馬場信春・内藤昌豊ら重臣多数を失い壊滅的な打撃を受け、戦国最強と称された武田軍団の凋落を決定づけた。以後、鉄砲の集団運用が戦国合戦の様相を一変させる契機となったとして、日本史上の転換点に位置づけられる。近代以降、合戦の舞台となった地域は整備が進み、昭和52年(1977年…
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織田信長とのつながり
天正3年(1575年)5月、信長は3万8千の連合軍を率いて設楽原に布陣し、連吾川沿いに馬防柵を構築して鉄砲3000挺による防御陣地を設けた。武田の騎馬軍団を火縄銃の斉射で迎え撃つという革新的な戦術を実践し、武田の精鋭を壊滅させた。この戦いは日本の戦術史において鉄砲の優位性を決定的に証明した合戦として名高い。
徳川家康とのつながり
家康の父・松平広忠が鳳来寺に子授けの祈願を行った結果、家康が誕生したと伝わる。この縁から鳳来山は家康誕生ゆかりの霊山とされ、三代将軍家光が家康を祀る東照宮をこの地に建立した。

ゆかりの人物
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