延喜元年(901年)、菅原道真が太宰権師として京都から大宰府へ左遷される途上、神嶽川(現・紫川)のほとりの小島で休息し、風光明媚な企救の浦を賞でたと伝わる。道真の死後、その遺徳を偲んで当地に一祠が建立されたのが当社の起源とされ、今から千百年余り前の平安時代前期にさかのぼる。この地は「天神島」と呼ばれ、学問の神として地域の崇敬を集めてきた。慶長7年(1602年)1月、小倉城を築城した細川忠興が当社を瀧本院とともに城下に配祠し、城下民の信仰を促した。寛永9年(1632年)、小笠原忠真が入城するとその夫人・永貞院が学問の神を篤く尊崇し、若君の養育に神徳を授かったと伝わる。慶安元年(1648年)には忠…